<よかネット>No.68 2004/3
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“ため池の会”で16人の旧友と会う 糸乘 貞善 |
| の会はスタートから20年以上になる。私が九州と密接にかかわるようになって、ほぼ20年になるが(九州地域計画研究所に来たのが1984.10)、“ため池の会”はそれ以前からだったと思う。当時異業種交流というものが流行っていたが、この会は全く商売っ気がなかったので、それとはかなりちがう。 私は「人もうけ」ということを言って、この「よかネット」にも書いている。この会が、「人もうけ」という意識をもった、最初だったように思う。 2月11日(建国記念日の休日)、京都宇治の黄檗山万福寺(おうばくさんまんぷくじ)に集まり、普茶料理(中国式の精進料理。1脚4人詰とし、煮菜、生菜、油で揚げたものなど)をいただいた。万福寺は明(みん)の黄檗山万福寺の隠元が、1654年来日してひらいた寺である。ここの寺も、料理もすばらしかった。カラーでないのでわかりにくいが、写真から豆腐をつぶして味をつけて固めたものに海苔をはったウナギの蒲焼きを感じとっていただきたい。 久しぶりに集まったので「なんで“ため池”というんだったかな」という言葉も出ていたので、いきさつを書いておく。 環境庁ができたのが昭和50年より少し前だったと思うが、その頃環境庁の発注した「環境容量の概念整理」の研究グループに入れていただいた。そこでいつも話題(主テーマでもある)になっていたのが「ため池」だった。当時河川改修といえば三面コンクリート貼りの「早く流すことがいい」という工事ばかりだった。昔から河川は環境保全に重要な役割を担ってきていたのに、早く流して海に出す考えが主流だったのである。 それに対して、「たまり」のある河川の方が環境保全(水質をよくする)によく効く、ということをコンセプトとして研究会を進めていた。そのときの考えをうけて人間も「バタバタ速度を早く動くより、あちこちに溜って働く方が地域に貢献する」と考えられた。それをうけて、人だまりとしての“ため池”をつくろうとしたのが、この会のスタートだった。 この会は、「金もうけ」の場にはならなかったが「人もうけ」の場になって続いている。ほとんどの人たちと、20年以上つき合っていることになる。 (いとのり さだよし) |
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