<よかネット>No.68 2004/3
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規制型都市計画から自立応援型地域計画へ |
| 「私は街の子ちまたの子」という美空ひばりの歌が流行っていた頃がある。調べてみると、1951年2月の発売となっている。巷(ちまた)という字は、共と邑(むら)という字でできている。つまり、むらの人が共有する村なかの道を意味している。今様にいうと「街のたまり場」のことといった方がよいように思う。その歌声は、少し哀愁を含んでいた。
その後、経済の高度成長と共に街が明るくなり、日本から巷がだんだん消えていった。都市計画法が出来た1968年(S43年)には、超高層の霞ヶ関ビルが建った。その後ずっと、巷はスクラップの対象になり、街は明るくなっていった。同じ年に、総理府は農村人口が2割を切ったと発表した(19.3%)。以来、私たちは、巷と農村地域をスクラップして、百貨店などのビルを建て、農村地域に住宅団地を作り続けてきた。そしてついに、人口が減り住宅が余り、食料品に危険が迫るような時代に立ち至っている。 今後は、いかにお金をかけずに、安全で安定した地域づくりを目指すかがポイントになる。テレビにさえ「町内会を元気にする」という言葉が出るくらいである。安全安心のベースである町内会や集落の眼線で考えた地域づくりを進めたい。そのためには、三つのポイントがあると思う。@大所高所の視点(鳥瞰図)ではなく、マチやムラの視点(人間の眼)で見る、Aスクラップ&ビルドの考えではなく、出来るだけ壊さずに「あるもの」生かす、Bきれいな道路や建物よりも、人が「住み続けやすい」地域づくりを目指す。 a.脱農村集落。もともと農村で37戸だったところが、800戸の大集落(都計外白地地域)になったが、すでに空家化がはじまっている(2月18日の地域づくりセミナーでの発言) b.集落に近接して農地をつぶして狭小過密住宅が建っているところ。集落のルールを守らず、地域の維持管理に対する協力が得られず問題化している(右の写真参照) c.宅造はそれほど起こっていないが、農家自体が二種兼業農家になっている世帯が多く、地域の維持管理のパワーに問題があるところ d.過疎地域で世帯数が年々減少していて集落の維持ができないところ 私の住んでいるところは、cぐらいのところであるが、昔は「100%型住民」70戸ほどで形成されていた。100%というのは、仕事(農業)も日常行事も一体となって共同で進めることで、地域が生活全般の基盤になっていたという意味である。 現在では専業農家は10軒にも満たないし、他の農家は都市などへの通勤兼業となり農業が主ではない。また都市から移住してきた世帯も10数戸あり(私もその1人)、他に高齢化した主たる職業のない(農業はやっているが)世帯もある。 仮に専業農家を100%住民とし、都市通勤農家を60%住民、住宅を目的として都市側から入ってきた人を30%住民とすると、現代の地域維持力は、おそらく半分以下に減っているとみられる。その上、全体に高齢化しているので、いろいろ問題が起こってくる。 まず子供が少ないので、「子供会」が成立しにくい。昔の農村集落は、人口の10%ぐらいが小学生だった。70戸あれば300人ぐらいの人口なので30人以上の小学生がいたと考えられるが、現在は10人に充たない。「婦人会」という活動は、地域社会の「食の知恵」の伝承基盤になっていたのだが、青壮年層に当たる女性が減って(だから小学生も少ない)、解散の動きが出ている。地域社会のいろいろな連携のもとになっていた「隣組」も、高齢化の中で世話役になる人がいなくなり、隣組返上の動きさえ出ている。 こういう問題に対して市町村役場や県庁などはどう考えているのだろう。国の考えはどうなのだろう。)。 都市・農村を問わず、子供を持つ親にとって、地域の顔見知りの人たちで誘拐などから守られることが、どれほど「安心」をもたらしているかわからない。 農村集落の近くに超密集型の小規模宅地用地が立地している。古いところでは昭和40年代(市街化区域、市街化調整区域、白地地域が決まったのが昭和44年〜45年頃)から建っていて、すでに空家化も進み、大幅に価格が下がっている。 結局、いくら価格が下がっても相対的に魅力のないところは、住宅余り時代には買い手がつかない。先に述べたaタイプやbタイプ集落の住宅は、次の住み手がつかないことによって、空き家が発生し、住宅団地全体が荒れていく可能性が強い。さらにこれらの団地では昔からの集落を維持管理するシステムの確立が不十分であるので、安全・安心度という尺度からみた地域社会の品質が下がることも考えられる。 一方、農村集落では、道路や河川の掃除、集会所の建物や周辺の維持管理、子供の遊び場でもある神社や周辺の掃除、集落の共有林などの管理……と、幅広い負担がかかる。これには、お金での負担と用役(出方)としての負担とがある。もしこれを、建設会社にメンテナンスを委託し、土木会社に道路・水路の管理を頼み、防災・防犯は警備会社にまかせるとなると、大変な金額が必要になる。現在のところ、一応集落の区費と出方でまかなわれているが、もし農村集落の活力が落ちて、維持管理の力が失われたらどうしたらいいのだろう。 今後、都市も農村も人口が減少する。働き手の数は全国的に見ると、1997年から減少に転じている。全体として高齢化しており、若い核家族(世帯主55歳未満)も大幅に減りつつある。シングルの青壮年層は都市に出ていく傾向があるので、農村集落の若い活力のある世帯が減少している。 このままいくと、将来の集落の維持管理は市町村財政で見なければならないかもしれない。そのためには市町村で増税するか、都市周辺の環境維持は都市住民も含めた公共財として全国民の増税で負担するということになる。一方では、都市住民は関係ないという意見が出るかも知れないが、上水道の集水源の管理はどうするか、少し長期的に見ると、分譲住宅を解体したときの廃材はどこへ捨てるのか、などといった都市内部で対応できない問題が山積みしている。 結局、日本のように流域圏で暮らしている国では都市と農山村が連携する以外に安全・安心の道はない。 Aタイプ(概ね300坪の土地に戸建てが標準) 福岡の周辺部の市町村の市街化調整区域で考えられるもので、既存の集落にとけ込むぐらいの戸数が、集落に参加する形で入る。用地は利用度の低い農地や山林を、一部に宅地のある300坪ぐらいの画地として賃貸宅地(定期借地権)にする。そこに、借地した都市側の人たちが住宅を建てる(農村集落の景観を考慮したデザインで)。 Bタイプ(仲間とのつきあい居住) 東京や大阪などでは、300坪の土地が借りられるところからだと通勤時間がかかりすぎる。このような都会には仲間3〜4家族で3〜4区画(1000〜1200坪ぐらい)を借りて、少なくともその中の1〜2家族は定住し、他は土日などに都心マンションからやってくるという仕組みもある。比較的出勤時間の遅い人が定住人間になり、他は集落のつきあい家族となる。このつきあい家族の人々も含めて正月を過ごしたり、子供も含めて「どんど焼き」をしたりする。このつきあい家族の人々も菜園をつくり、果樹を育て、農村の人から米などを分けてもらったりすることができるので、安全・安心度が飛躍的に高まる。また万が一都市側で災害が起こったときでもリスクヘッジの役割を果たす。 Cタイプ(高齢者の共同居住) 一般に高齢者は都心のマンションがいいと言われているが、生活のサポートがあれば自然の豊かなところを好む人もいるかもしれない。この人たちは広めの土地を借りて、グループ住宅を建てることも考えられる。あるいは集落側で建てた共同住宅へ住むこともあり得る。この人達もBタイプで述べた菜園や農産物のめぐみにはありつける。 そのあとに大規模店舗や集合住宅を建て、住宅団地を造成していた。つまり「スクラップ&ビルド」という形が常態となっていた。この仕組みで建設された団地は、地価が下がり、古いところでは次の住み手がいないところもある。それでなくとも、ローン残高より時価の方が低いというようなことも起こってくる。冷静に考えると、今後人口が増えることもなさそうなので、この流れは変わらない。都心のマンションも同じである。 とすればどうしたら10年、20年後でも利用価値が下がらない、いや上がるような住宅が考えられるか。そういう願いを込めて考えているのが、田園楽住計画で、図に示したようなイメージである。 少なくとも、@土地(借地)はゆとりがあるので利用価値は下がらない、A菜園や果樹園は土壌がよくなり果樹が生長するので価値は上がる、B住宅は少しは下がるかもしれないが環境悪化による質の低下は起こらない。もし仮に、20年後に都心の集合住宅に移るにしても、狭小密集団地のように、ほとんど買い手がつかないというようなことは考えられない。 今を楽しく暮らすという意味でも、将来の安心のためにも「田園楽住は大変良い仕組み」である。なんとか早く実現したいと思っている。 |
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