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所 員 近 況 |
| ■志摩町で見つけた新しい情報産業 糸島で田園居住の候補となるような場所はないかと探し回っていたときに、引津の漁村集落からさらに奥にいった福の浦というところに「天然塩製造所」なるものを見つけた。なかなかおもしろい所だったので紹介したい。 ○行くのをあきらめたくなるほど海岸の突端にある製造所 漁村で見つけた「製造所」の看板を頼りに2〜3kmほど海岸沿いを探してみたのだが、なかなか見つからない。仕方なく漁村まで戻って、草刈りをしているおじさんに場所を聞いてみると「海岸の奥の方までいってみたか?」「あきれるくらい海岸の突端までいかんといけんよ。」と教えてくれた。 そのおかげでなんとかたどり着くことができたのだが、そこは道路の舗装もなく、道なのかどうかさえわからない所である。おじさんに「あきれるくらい」と言われなかったら、あきらめてしまって、たどり着かなかったかもしれない。 ○志摩町は良質な塩もとれる土地柄 なんでこんな辺鄙なところでわざわざ塩をつくっているのだろうと思って聞いてみると、いい塩をつくるには民家と川が近くになくて、自然林がある土地が最適なのだそうだ。 福の浦は民家があるのだが、30年前から合併浄化槽を使っているので生活排水が海を汚すこともなく、きれいな海岸環境が守られていた。また人が入りにくい地形なので自然林が残っており、鳥や魚が集まりやすく海藻も多く取れる。宮崎や鹿児島などさまざまな海岸を探し回ったそうだが、どこも生活排水などで環境が汚染されており、塩製造に適した好条件の土地はなかった。まさか福岡の都市部に40分でいけるような場所で見つかるとは思わなかったそうである。 ○製造業の塩ではなく情報産業の塩 できた塩はナトリウムだけでなく、いろんなミネラルが含まれているせいか、甘く感じる。工場で化学的、機械的につくられたものとは全然違う。また塩づくりの行程を鹹水(かんすい)から窯で煮詰めるところまですべて見ることができるので、その体験を他人に自慢もできる。これはまさに情報産業だなと思った。志摩町にはこんな土地柄を活かした情報産業がまだ眠っていたのかと驚かされた。 この日は塩づくりの作業が終わってしまっていて、塩づくりの行程を見ることが出来なかったので、近いうちにまた見学に行きたいと思う。 (本田 正明) ■いろんなシミュレーションをしてみること 話はやや脇道から入るが、先日「親子で一緒に性教育」という、助産婦さんが講師のセミナーに行った。親子で、といわれるからには子供(5歳と1歳)と妻と一緒に。前半は子供向け、後半は保護者向けという2部構成だった。 子供向けは小学校低学年レベルと言っていたが、体の機能をパズル形式で福笑いのように並べていって、その中のひとつに性器もある、といった自然な感じでアプローチしていた。 詳しい中身は省略するが、性の話は結局、命の大切さとは何かという話につながっている。自分はなぜ生まれてきたのか、を紐解く話だからだ。 性教育に当たるような話は、以前はそれなりの年頃になるとちょっと上の先輩が自慢げに(?)教えてくれたりした。それが今はあまり行われず、口から口へ伝わっていない。学校の性教育も感動的でなおかつ実用的なものではないし、あるのはマスコミの情報くらい。子供を守りたければ親が教えるしかないのが現状だそうだが、今の親だってろくな性教育は受けていない。セミナーの後半は、そういう意味もあって保護者向けの時間だった。 参加者の母親からの質問で、子供(特に女の子)が危ない目にあったときにどうすればいいか、どうやって自分の身の守り方を教えるのか、というのがあった。 怪しい人が現れたら大声を出せといわれても、とっさには出ないし、反対に逆上されてかえって危険になる場合もある。これについて先生は、「いろんなケースをシミュレーションして話し合ってみるしかない」と言っていた。相手によって、場所によって、雰囲気によって結果が変わるかもしれないときは、それぞれのケースを想定しておいて、実際にそういう現場にあったときに、ここで大声を出せばいいのか、優しく説得するのか、ひたすら逃げるのか、判断するしかない。それができるように、自分あるいは子供を鍛えておく必要がある。 この辺が本題なのだが、一般的な話に置き換えてみると、危機管理に限ったことではないが、最悪のことも含めて起きるかもしれない事態を想定し、対策を考えておくということは重要だ。体験できることはやってみるのが一番良いが、体験できないことはリアルに想像しておくだけでもいい。例えば、会社がつぶれたとか、事故が起こったとか、最近で言えば大雨で川が氾濫したとか。そのときに自分がどう行動するのかを、幾通りか考えておく。 危機ではないが、宝くじが当たったら、というようなことも必要なシミュレーションかもしれない。プラスをより有効に活用する、という意味で。 危機意識を持って欲しい人には、複数の人で一緒にディスカッションしておくとよりいいだろう。それが教えることになる。イメージトレーニングと同じようなことなのかもしれない。 自分自身のことや、会社はもちろん、自治体、NPO、3セク、いろんなところで使えそうな話だ。 (伊藤 聡) ■暮らし年代記60年・60年説 「またいらんことをやっている」と言われそうですが、2ページの「中心市街地」の原稿を書くために時代背景のメモを作ってみました。仮に1945年の前後60年ずつを区切ってみると、1885年と2005年になります(まさにこじつけみたいですが)。 このことを前提に年代記を作ってみました。 @なぜ1885年なのか、明治維新は1868年ではないかと言われそうですが、明治維新の完結はそのころだと思います。人口の対前年増加率が1%を越すのが1883年、88、89年です。また、出生数が100万人を越すのも83年です。 A明治維新とは大量クビキリ・大量失業のことです。時代転換のために、それが必要だったのか。「武士の家計簿」(新潮新書)をみると、この失業時代をうまく乗り越えられた人と、落ちぶれた多くの武士がいることが分かります。「五郎治殿御始末」という小説にも書かれています。その波が一段落したのが、1885年頃だと思います。 B新しい時代を動かすインフラとして、全国に通用する「お金」が不可欠ですが、全国に安心して通用する日本銀行の兌換券(銀との交換が保証されている)が発行されたのは85年です。 C30年後の1914年にはミルクキャラメルや、16年の「工場法」が、日本の工業化への動きを示しています。 D60年後の「敗戦」は言わずもがなですが、38年の「賃金・卸価格統制令」は、官僚統制の仕上げ(もしくは戦後につながる再スタートでしょうか)で、40年頃から食べ物が不足しだし、「大根メシ」時代になりました。 E1945年は、ほんの一部の要領のいい人を除いて、日本人の暮らしの根底がひっくり返されました。 F傾斜生産方式は統制の最たるものですが、これは「国家社会主義」だったのでしょう。 G1975年の前に、68年に住宅数が世帯数を上回ります。78年には1ドル200円の時代になって、日本が「豊かな社会」に入りました。2ページ以降の文章を読んでいただきたいのですが、75年頃が日本の社会の分岐点だったのでしょう。 H次の、日本の社会システムがひっくり返されるのは、何時でしょうか。 (糸乘 貞喜) ■川遊びはゲームよりも楽しかった 昨年度に引き続き、NPO法人地域生活支援センターForzaが開催しているレクリエーション活動にボランティアとして参加させてもらっています。このレクリエーションは知的障害児・者が、新しい体験をしたり、本人達が持っている新しい力を発見するために行われているもので、Forzaの利用者はもちろん、新聞などで参加者を募っています。レクリエーションでは参加者1人に対しボランティアが1〜2人つき、常にペアで行動することになっています。 今年度2回目のレクリエーションは8月9日〜10日にかけて、参加者10人、ボランティア6人、Forzaのスタッフ3人の総勢19人で、福岡県黒木町にある「山村塾」で1泊2日の宿泊キャンプとなりました。今回私がペアを組んだのは小学4年生の男の子。何度かレクリエーションで顔を合わせたことはあったのですが、ペアを組むのは今回が初めてでした。福岡市内から山村塾まで約3時間(高速道路を利用しなかったため)ちょこちょこと話はしたものの、バスの中で彼はずっとゲームボーイに夢中になっていました。 前日台風が九州を通過していたため、天気がどうなるかを心配していましたが、まさに台風一過、とてもいいお天気に恵まれました。到着後、オリエンテーリングのあとはカモの餌やり(山村塾ではアイガモ農法をされている)と川での水遊び。台風による雨で川が増水していたり、水が濁っているのでは・・・と心配していたのですが、水の流れが多少速いように感じましたが、とても冷たくそしてきれいでした。 約1時間、川で遊びまくって上がってきた彼が言ったセリフは「ゲームボーイで遊ぶより川で遊ぶほうが楽しかった」というもの。ほんの少し前までゲームに一生懸命になっていた人から出てきた言葉とは思えずびっくりしてしまいましたが、普段なかなかできない川遊びがよほど楽しかったようで、夕食のカレーを食べているときも、夜花火をしているときも「明日も川で泳ぎたい」と言い続けていました。結局次の日、川で遊ぶことはできませんでしたが、早起きしてキュウリをちぎりにいったり、竹でお土産のコップと箸を作ったりと、普段なかなかできない体験をして帰途につきました。 私自身も自然に触れる機会が極端に少なくなっていることもあり、今回のキャンプは久しぶりに思いっきり太陽の光を浴び、自然に囲まれてすごした2日間でした。山村塾には同じ日に、学生さんやご夫婦が農業体験に来られていました。山村塾には、また個人的に遊びに行けたらと思っています。 (梶原 里香) |