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ガンは決して怖い病気ではない |
| 7月末に「NPO健康支援ネット」を立ち上げつつある友人からのお誘いを受け、NPO法人ガンの患者学研究所代表の川竹文夫さんのお話を聞いてきた。当日のセミナー参加者のほとんどはガン患者さんであり、約70名近い人が集まっていた。 川竹さんは、NHK時代の1990年に腎臓ガンで右腎臓の摘出手術を受けられた。以来、末期ガンから生還した患者、ガン治療に取り組む医師へのインタビューなどを行い、ガンの代替療法や自然治癒を学んできた。1996年にはNPO「ガンの患者研究所」を設立し、ガン治療を副作用の多い3代療法(手術、抗ガン剤、放射線)に頼りきるのではなく、現在医療を上手に活かしながら、ライスタイルや食事を改め、患者の自助努力によって治していくことを支援していく活動を行っている。 ●8〜9年前の「地域ゼミ」で講演 川竹さんは、当社の監査役である久留米大学の駄田井先生の義理の兄弟にあたるといった関係から、本を出版された1994年直後ごろに「地域ゼミ」でお話しいただいたことがあった。 この時にも既に、ガンの手術をしても氷山の一角を切り取ったにすぎない、ガン発生の背後にあるライフスタイル、食事の乱れ、心の乱れ(ストレス)を改めなくては、ガンは再発する病気なのであるということを力説されていた。 また、医者から見放された末期ガンの患者が、逆に手術をしなかったことが幸いしたのか、その後生き続けているケースがいくらでもあるとの話も印象的であった。川竹さん本人も、代替治療をしながら再発せず14年間生き続けている。当日のセミナーも3時間、元気に話された。 ●ガンは5年以上生存している人は増えているが、ガンで亡くなる人も増えているのは何故か? タイトルの言葉は、講演の冒頭に川竹さんが出された問題である。一件矛盾しているようだが、現在の検査事情を想像すると良く理解できる。つまり、健康診断率と検査技術との両方が高まって、ガンの早期発見率が高まったことから、生存する期間が伸びただけである。しかし、亡くなる人が多いというのは再発している人が多いということなのである。「体質改善の図」にあるように、その後の、いかに体質改善するかが再発防止の鍵なのである。 ●ガン治療で最も大切なのは「心」の問題 川竹さんは、ガンの再発を防ぐには、いままでの一番大事にしてきたものを「捨てる」覚悟がいるという、生半可にいままで通りに仕事を続けていると決してライフスタイルは変わらす、体質改善にならない。だから「本人の心」の問題が体質改善図の底辺にきているのも、このためである。 それと食事療法の大切さを言われていた、基本的には玄米菜食を徹底させること。川竹さんも肉類や乳製品は全く食べていなく、魚とお酒は講演後の自分への褒美として少量だけ嗜むとのこと。また、ガン治療へ主体的、積極的になることで免疫力が確実に上がることも自然退縮への道であると言われていた。後半の質問コーナーでも「玄米菜食をしていたのに再発してしまったが、何故なのか」との問いかけに対しても「それをどれだけ徹底していたのか、少し気を許して肉類を食したことがないのか」と追求され、その徹底することへの大切さを訴えられていた。 ●今年の5月にガン患者1、100人集会を主催 ガンの患者学研究所の機関誌「いのちの田圃」から抜粋させていただくと、「治った人が1人微笑めば、それを見た、30人がきっと治る」といった主旨のもとで、今年の5月に「千百人集会」を開催された。千百人とは「千人」のガン患者と「百人」のガンが治った人を集めた会で、会場は満杯で盛況であったらしい。実際にガンを治した方は124人が参加され、このうち1/3が、現在医療に頼らずに自然治癒した人であったらしい。ガンを治した方には交通費・宿泊費とも自腹で、体験談を話していただくということで参加を呼びかけたのであるが、ボランティアであるにも係わらず、100人以上の方がよく参加されたことを川竹さんは驚いておられた。 もし、交通費等を主催者側が支払う条件であったら、もっとガンを治した方は多く参加していたのではないかとも言われていた。 私は、このセミナーを聞く前にテレビで、全国の主なガン患者の集まる会の特集していたものを、たまたま見た。川竹さんの活動の他に、名古屋の「泉の会」などがレポートされていた。ガン患者さんにインタビューすると「私は肝臓ガン」「私は腎臓ガン」などと、ためらいもなく、公表されているのには感心した。以前までは「ガンは必ず死ぬもの」といった暗いイメージではなかったかと思う。テレビでの雰囲気では、みんな明るく、どこかの趣味のグループみたいであった。川竹さんの話やテレビの印象から言えることは、ガンは決して怖いものではなく、ガンになってしまえば、川竹さん流に、これまでのしがらみを捨て、食事療法を行い、悪いストレスのない暮らしをすれば、治る病気であることを再認識した。 (やまだ たつお) |