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青壮年の個族化が進んでいるということを調べているなかで、就職しない大学生が増えていることに気がついた。文部省の調査データでは、フリーターは「就職しない」の方に入れられている。近年ではそれが30%を超えている。つまり、昔のような感じの就職が減っている。平均で30%を超えているので、希望者のほとんど全員が就職する大学があることから考えると、大半の学生が就職できていない大学もあるに違いない。
この号の表紙に書いているように、「これからはヨコ型のネットワークの時代なんだ」といったような単純な問題ではない。地縁・血縁といったタテ型のシステム自体が弱くなっている。一方で、モノつくり産業から情報サービス産業へ転換しつつある時代では、個人にとって「ネットワークが強く・広い」ことが、生きていくための基盤になってきている。
とにかく大学生を、現代社会のネットワークの中へ迎え入れる重要性は、一層強まっている。
●大学卒の3割は就職しない時代
多摩大学の就職支援がすごいという話をきいて、インターネットで検索してみた。一見して、「今の大学はこんなに学生の就職に力を入れるのか、それにしても多摩大学はすごいな」と思った。よく考えてみると、大半の学生は学者になるためでなく、就職する(仕事をする)ために大学に来ているわけで、もし日本の人口の50%(大学進学率のこと)が学問に専念していては、国はもたない。大学が「対個人サービス業」だとすると、卒業後生きていくための就職のサポートをするのは、大学の基本サービスだとも言えよう。その点、多摩大学は学生数が少ないこともあって、キメ細かい就職指導が行われているようだ。
自分の眼で確かめないと気が済まないので、多摩大学の就職部をたずねてみた。私の関心は大学卒業後、「無職・その他」となる率が30%を超えたという中で、どうして就職する気にさせ、企業に結びつけていくのかということである。
●縁が日々薄くなっていく時代
地縁や血縁など、現代はあらゆる縁が薄くなりやすい時代である。たとえば地縁や血縁について挙げてみる。と、
@親戚づきあいは、数が減り、距離も遠くなっている。
A兄弟姉妹も人数が減って、住んでいるところも遠く離れている。
B農村集落では、世帯数や家族人数が減ったこととも関連して、昔のような集落のしきたりが保てなくなっている。
Cさらに農村集落では、現代の仕組み(工業社会、核家族)から外れたために、結婚をしない未婚青壮年が増えている。
D都市周辺部の集落では、在来の居住者と新規移住者の関係がうまくいかず、自治会などの集落区への加入者が減るなど、コミュニティが損なわれている。
E都市内でも、人口の減少と老齢化のために、祭りなどの行事の維持が困難になっている。
F新しい住宅地でも町内会などへの加入者が減っている。
G企業でも年功序列制度が壊れて、年俸制が増えている。
Hと同時に、会社人間は評価されなくなり、タテ型の命令ではなく、自己責任で仕事を成し遂げることが要求されだしている。
縁が薄くなる中で、別に就職しなくても、食うには困らないから、フリーターでいいではないかという考え方がある。しかし、フリーターだと友人関係も安定しないし、日頃の連絡先も変わりやすいので、同級生とのつきあいも薄くなる。また就職しないと大学との縁も薄くなる。仕事が安定せず、規則だった生活をしないと家族とも縁が薄くなる。
縁が薄くなるということが、形の上での個族化をもたらし、ひいては心のつながりの孤立化に結びつきやすい。この縁がとぎれやすい学生を「つながりぐせ」の方に向けて、社会人として迎え入れようとするのが大学の就職部の仕事だと思った。
●若者に最も必要なサービス業現代若衆宿
昔の“若衆宿”の役割を分析してみると、「三つのセイ」ということが浮かんでくる。つまり、@生=生きていくための仕事の技術を身につける、A政=大人として地域社会の政(まつりごと)へ参加する知識を得る、B性=良き伴侶を得て次の世代を育てる知恵を得る、という三つである。この役割は、明治以降には、地域青年団(女子青年団もあった)が受け持ったことになっている。さらに兵役もあった。戦後は、一層の工業化の中で、地域の若衆宿が対象としたような青年男女は、都市へ出ていった。そして企業が、躾や仕事、技能、結婚の世話までするようになっていった。
一方で、高校・大学への進学率が高まるにつれて、昔から親や親戚、さらには地縁が受け持った躾や就職の紹介やそれへの期待が、いまでは大学へ変わってきている。以前の若衆宿の機能を受け継ぐ位置を占めている組織が、大学の就職部かもしれないとも思う。
●“一人ひとり”最後まで、若衆宿のように親身になって面倒をみる
「“一人ひとり"ってどういうことですか」とたずねたら、「常に連絡をとるということです」という返事が返ってきた。就職カードを見せてもらったが、本人のケイタイやEメール、家族はもちろん「親しい学友」の氏名、住所、TEL(ケイタイも)も書き込むようになっている。
大学の就職活動が、一般的にどうなっているのか知らないが、この大学では「一人」を相手にサポートがなされている。学生全体に一般の掲示板で知らせるというようなことではダメらしい。就職部による面接も一人に対して年2回行われ、ゼミの教師からもフェイス・ツー・フェイスで指導され、連絡もケイタイに入ってくる。企業の情報も、本人の希望に合わせたものがダイレクトメールやケイタイで入ってくる。音沙汰がないと「どうなったか」と友人に電話してそちらから本人に話してもらう。
まさに「対個人サービス業」であり、小回りが利くことが勝負のようだ。「アーリー&クイック」が決め手らしい。企業情報も個人に届くし、学生も就職訪問などの動きがクイックにおこせる。「今の学生はうるさいぐらいに言われても反発なんてしまんせんよ。素直ですから」と言われたが、現在の50%進学時代は、10%しか進学しなかった時代とは違っている。
聞きながら感じたことは、現在の大学では、大多数の学生が就職までのモラトリアムであったり、訓練の期間であるということである。とすれば、若衆宿としてきめ細かに指導し、社会へ送り出してくれる大学がニードに合っていると考えられる。一部の学生に対しては、卒業後起業や研究で「一人立ち」するように指導することは必要であるが、「知的サービス業」を営む大学が、次へ進むためのサポートを重視するのは理にかなっているし、そうできない大学は消えていかざるを得ないのかもしれない。
現代の大学は「規格人間大量生造業」では成り立たない。「個別の知的サービス業」でなければならない。
●対個人サービス業の雰囲気
就職サービスの個人面接がどんな雰囲気で行われているのか気になったので、「どうやって学生と面接するのですか。」と質問し、「ほんの少しなら」という条件で2〜3分盗み聞きをさせていただいた。
「君はどんなところに就職を考えているの」
「………」
「わからない?何がしたい……。探しても出てこない?」
「………」
「自動車ディーラー?車好きなの?」
「ボソボソ」
「お母さんと就職のこと、希望など話しているの?」
「ボソボソ」
「お母さんに相談してほしいんだなぁ……、相談すれば考える気になりやすいだろ」
「ボソボソ」
「SEはどうなの。数学が得意なら運輸関係の配送システムのサポートとかもあるよ。」
「………」
「何? 家が運送関係なの?」
「別に家でもいいんだから、車のディーラーだけでなく、SEなんかも考えてみたら・・・」
といった具合に進んでいった。聞きながら「これはすごい仕事だなぁ」と思った。「お母さん」という言葉が出たとき、少しショックを受けた。並の気分では、このサービスはできないだろう。ひょっとすると、若衆宿でこれに似た言葉があるとすれば、「オマエの先祖は……」ということになるかもしれない。会社でもここまでやれないな、とも思った。
もちろんサービス料を払っているのは学生側で、会社では金を受け取るのが社員ではある。とはいえ、金を払っているからには働いてもらわねばならない。この就職支援サービス担当職員は、民間企業から来ている人が多い、というのもうなずける。
●「自分で決めるぐせ」をつけさせる指導
就職のガイダンスが、就職サポートのスタートであるが、そこでは具体的な就職のことではなく、@自分で決める、A現実逃避するな、Bホーレンソー(報告、連絡、相談)をおこたるな、C企業の仕事というものは現物主義だ、ということを徹底的に話す。
現代は食うに困らない時代であるために、仕事の中での自己責任ということを考えずに、「それなりに」やってれば職をもらえるという、パート的な気分の学生が多い。それに対して、この大学ではカリキュラムの中でも「自己発見講座」が徹底して行われている。
それは、12〜13週まで続くが、第2週「どう生きるか、何のために学ぶのか」(テキストはインターネットでコピーできる。私の事務所の人達も読み出した)、第3〜5週「知の技法:知識を獲得するための知識、創造的なミーティングの仕方、自己表現とインタービュー技法、対話における自己発見」となっている。その他に「フィールドワーク」や中谷巌学長の“愉快!経済学"もある。
「フィールドワーク」では、10人ほどのグループで、多摩市周辺を歩き回って、自分で見たり、
地域の人に聞いたりして、問題を見つけ・解決を考え、提案をつくることをやっている。大学の講義というと、毎年同じことを教室でしゃべるだけということが多いと言われているが、フィールドワークを1年次に経験するというのはいいことだと思った。大半の学生が卒業後、企業に入ることから考えても、この「若衆宿的」カリキュラムは面白い。もちろん自立して商売(ビジネス)を始める人も、研究者になる人にとっても役に立つプログラムである。
●多摩大学は「変な大学」ですという経営方針
私は、大学の入学とかその後の就職とかにかかわる人生から遠く離れてしまっていて、今のPR時代ならこんなものかと思っていたが、当所の若い人たちは「これは面白い」と言ってパンフレットを褒めた。「変な大学です」という大学案内は好評だった(写真)。A4版のこのパンフには「多摩大学はなぜ『変な大学』なのか」の説明が6項目にわたって載っている。それは、@私立大学―なのに、徹底した「少人数による手づくり教育」をめざしています、A4年制大学―なのに、最初の授業は「自己発見」で始まります、B経営情報学部―なのに、毎朝の「英語シャワー」で使える英語が身につきます、C大学―なのに、教授の半数以上が「産業界で活躍している」人たちです、D現役学生―なのに「起業している」人がいます、E文系大学―なのに、「NHKロボットコンテスト」で特別賞をとりました。
これらを見ていて経営方針がはっきりしていることがよくわかる。ついつい「この大学の経営者は誰なんですか」と聞いてしまった。多摩大学は学校法人田村学園グループの大学であるが、この経営方針は理事長の田村邦彦、野田一夫初代学長、中村秀一郎二代学長の3人の合作で、それを中谷巌現学長が発展させておられるようだ。野田一夫先生については、宮城大学学長として一度話をうかがっている。そのとき「この先生はマネジメントに意欲をもっておられるな」と感じた。大学の先生で、そんな気分が感じられる人はまずいない。
新しい中谷学長のパンフレットにも、@授業は商品、A意欲のない学生は不要、B知識プラス生き方、CITと英語、D起業学精神、Eビジネスインターンシップと社会人向け夜間大学院―が強調されている。
いろいろ見てきたが、ここで感じたことは、今後の大学は、「9割の学生を社会へつなぐ教育と1割の研究」ということになり、学生を社会へつなぐ「若衆宿」の機能をもたない大学はユーザー(親と学生)から見離されるかもしれないということだった。したがって大学の教員(先生と職員)は、「生き方」を伝える知的サービスを提供することに、習熟しなければならないのだと思う。
(いとのり さだよし)
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