<よかネット>No.57 2002/05
←前 次→
|
人もうけ通信11 |
|
今回の「人もうけ」は一網打尽型でした。「よかネット」の56号に隊員募集をして、十人の隊員でつばた邸に押しかけました。隊員名簿は下記。 |
|
|
●つばた家のランドマークは林
つばたさんの家を訪ねるのは二回目なのだが、バス停のあたりからの距離感が鈍っていて、ガイド役の私が迷っていたら、「糸乘さん、林があるんでしょ。高い木のとこを捜せば……」と後ろから言われて、眼をあげると小さな雑木林が見えた。 ●一反300坪は暮らしの原単位 一反=300坪という土地は、日本人がたどり着いた暮らしの原単位である。つばたさんの家は、その三分の一に丸太づくりの家と雑木林がある。その丸太づくりの家は、大学を出て最初に所属したアントニン・レーモンドのアトリエの一部の再現である。木製窓枠のガラス戸に、内側は障子戸がついている。「レーモンド は、日本の気候には木造の窓と内側に障子戸と言っていましてね……」といいながらその戸の開け閉てをして見せ、「28年、全く狂っていないんですよ」というのが自慢である。 ●ヨットと野生 つばた邸に訪れて、おっとりしたくつろぎを感じることのできるのは、奥様の英子さんと話している時である。と思っていたのに、ギョッとしたことがある。前回の2月に伺ったとき、タヒチでのクルージングのビデオを見せてもらいながら話していた。「奥さんも行かれたのですか」「いいえ私はヨットが好きではないのです」「でも、つばたさんも、これが最後のクルージングだと言っておられましたね」「でもねー、彼は帰ってくると人が変わってるんですよ。野性にかえってくるんですよ。やっぱり今後も行かせなきゃーと思っているんです」。これは恐ろしい人だと思った。今どき流行の「理想の男性は優しい人……」なんて柔な男ではダメだということか。野生といっても奥様のイメージにあるのは、乱暴なワイルドではなく、自然に対する適応力=逃げ足も含んでいるらしい。つばたさんのヨット史には何度もの遭難がついていたようだ「ヨットは、私にとって『心配の種』でした」といいながら、「これからも行かせなきゃ」という言葉に驚 いた。 ●縁=ネットワークの拡がり つばたさんから「よかネット」をお送りするたびに本を出したり雑誌などへお書きになる度に、便りをいただいていた。その手紙はいちいち挿し絵つきなので恐縮していた。つまりITなどというものより、手紙の方がはるかに情報密度は高い。絵はがきよりは手書 きの挿し絵つきの方が、圧倒的に情報量が多い。しかし実際に訪ねてみると、奥様のやっておられる情報活動の情報量は比較にならないパワーを持っている つばたさんが住宅公団時代のことを書いた本の中で「この時代は、四人家族が社会の主流という単純で明解な家族像の見える時代だった。しかし、その後の二十年間に時代の背景は大きく変わっていく。二十年たって、シングル、子供なし、子供一人世帯を合わせると八○%以上。四人家族は二〇%に満たなくなり、その関係が逆転する。なかでも、女性の一人暮らしの増加が際立つようになる。若年の未婚、中年の非婚・離婚、後年の死別、それに銅製・事実婚など……」とふれられている。私はこれらのことを「個族化社会」といっている。個族、孤独、自立、孤立といった似た言葉があるが、孤独を楽しんだり、自立して楽しく暮らすなどと言うことは実にすばらしいことで、問題は「孤立」にある。私が言う「個族」は一人家族と世代の再生産から離れた世帯のことだが、つばた家は全く違う。特に奥様の情報活動を見ていると、「これぞ情報社会」という気がする。まず、孫のはなこさんに対する七五三のお祝いは極めつけだ。「七五三のはじめてのお祝いの着物は、私の手織で作ろうと決めました。体のまだ小さい彼女をサーモンピンクのお着物でくるんで、巾着の手提げと お草履でまとめれば」という思いを実行される。明治神宮に一緒にお参りしたら、「もう次の七歳の準備が始まりました」。今度は絞りの着物ということで、伝統工芸品を扱っている店に相談に行ったりしながら、二年がかりで生地を仕上げた。次の年はハンドバックついで長襦袢、帯など、下着の小物類を選ぶ。着物と小物と帯を合わせるために銀座に出かけ、着物には全体に四季のお花を刺繍をしていただきました、などなど。この間のご夫妻の花子さんに対する情報たるや、恐ろしい量に達していると思う。 いろいろ書くと大変だが、ドールハウスにふれておく。花子さんの六歳の誕生日に二人で手作りで贈られたものです。これは写真を見ていただきたい。いずれも万金に換えがたい。 ●脳細胞労働価値説 もうひとつ蛇足を許していただきたい。「万金」に代え難いと書いたが、私は経済的な意味でも価値があると思っている。若い頃マルクスをかじって、「労働価値説」というのを学んだ。今では全く評判が悪い、というより問題にされていないが、私は正しいのでは ないかと考えている。ただ、マルクスは「筋肉細胞労働価値説」であった。しかし私は「脳細胞労働価値説」である。確かに彼の頃は筋肉細胞の寄与率が高かったように見えるが、そもそも人間という動物は「脳細胞労働をする」ということがほかと違うのではないか。このように脳細胞労働の含有率を価値基準に入れ ると、骨董なども説明できる。ものすごい人々の思いが染み込んでいる「すぐれもの」は価値が高い。芸術品も、多くの人が何代にもわたって憧れた絵や音楽なども「心の思いの量」が膨大であるだけ価値が高い。そういう意味で、つばた夫妻の日々の活動に対して「高度情報社会での超先端活動奨励賞」を差し上げた いような気がする。月二回の宅急便という話もあったこのつばた家の宅急便は、大量の筋肉労働を含んではいるが、その労働の間や準備する過程、次との兼ね合いを考えるなど、膨大な「思い」が込められている。宅急便は物流手段ではなく、情報手段になっている。 ●たべものへのこだわり・勝手な食いしん坊・メニューメモ魔 三つのことを書く。「ぼくはご飯は一日四杯で朝二杯食べる」「私はパン食なんですよ」という状態になれば、多くの場合、家庭の機能停止におちいる。これをこだわりというか勝手というか皆様にお任せする。次は毎日の食事のメニューが挿し絵いりで残されており、全部がファイルされていること。これは見ているだけで「降参だ」という気になる。三つ目は我々十人がいただいた「御馳走の数々」じまん。これは前回同様手紙で、色つき挿し絵のメニューをいただいた。ベーコンやチャーシュー、焼き鳥、ピザパイ、オリーブのピクルスなどなど手作りの大攻勢。悔しい人は、5月18日の「よかねっとパーティー」に壁新聞を作っておきますのでおこし下さい。 (いとのり さだよし) |
|
←前 次→