<よかネット>No.56 2002/03
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東山魁夷画伯の思い出に包まれた
筑豊絵本館
〜先生と生徒の“思い”から、全国唯一の絵本
 館ができるまで〜   山田 龍雄

 私は、それほど日本画に興味があった訳ではない。たまたま、4〜5年前に福岡市内のデパートで開催されていた「東山魁夷画伯展」に出かけ、画伯の本物の絵に接し、その迫力と美しさに感銘した。特に唐招提寺障壁画の「海」の絵の前では、立ち止まって静かに、ただ呆然と長い間見入ってしまった。
 これ以来、東山画伯に関する情報は気にしていたのであるが、今年の1月3日の民放テレビで画伯の生い立ちと作品、また自然を見つめ、写生することの大切さなどを紹介した番組を見た。
 この番組の中で、田川郡川崎町に「筑豊絵本館」があり、この絵本館の設立者である村上さんと東山画伯とが、何か強いつながりを持っており、この絵本館を創るときに画伯の私的コレクションが贈られてきたという話しが紹介されていた。
 私は、20数年前から田川市や飯塚などで仕事をし、何度も足を運んだところであった筑豊地域に、東山画伯という大家とつながりのある人がいることに驚き、是非、訪ねて話を聞いてみたいと思った。
1月の中旬、その絵本館を訪ねた。筑豊絵本館は住宅地の一角に建っており、こじんまりとしているいて、三角屋根でステンドグラスがはめられ、絵本館の雰囲気を醸し出していた。運良く館長である村上さんも在宅中であり、1時間近く、東山画伯とのいきさつや絵本館に対する思いをお聞きすることができた。

●東山画伯交流は文化祭の「教科書原作者生原稿展」の企 画から始まった。
村上さんは、元中学校の教師であり、川崎町(川崎中学、池尻中学)、赤村(赤中学)で筑豊地域の炭鉱隆盛の時代から、炭鉱衰退後まで教鞭をとられ、担当となった子供たちとの日常的なつながりをつくるために日記や詩を書かせていた。特に池尻中学校での子供たちの詩を収めた本が、昭和47年に「筑豊・池尻の子供たち」として出版されている。
 東山画伯との出会いのきっかけは、昭和55年に村上さんが川崎中学校2年生の担任となったときの文化祭の企画であった。それは、国語教科書に掲載されていたいろんな話の原作者の“生の字”の原稿に触れさせたいという思いから始まっている。
 当時、このような企画は全国どこもしていなかったためか、当時、現存しておられた原作者43名のほとんどの方から直筆の原稿が届いたそうだ。その原作者の一人が東山画伯であった。これを機会に生徒と原作者は身近な存在となり、生徒も原作者の方の本を意識して読むようになったそうだ。この企画は一回限りであったが、話題になったため全国でもまねてみた学校もあったそうだ。
 その後 昭和56年1月に東山画伯の方から福岡市で開催された「唐招提寺への道展」と、その記念講演会の招待状が届いた。この時に招待されたのは、講演会には代表2名、展覧会には希望者全員。展覧会に行くにはお金もかかることから、希望者はせいぜい4〜5名程度と思っていたが、クラスの24名と他のクラスの23名、計47名が参加し、バスをチャーターして展覧会に行くことになった。この時、村上先生は生徒が静かに絵を見ることができるだろうか、騒いで迷惑をかけないだろうかと心の中では危惧していたそうだが、全くの取り越し苦労で、生徒たちは本当に食い入るように見学していたそうである。「本物の美に接して、子供たちは身動きもならぬほど感動し、感性が磨かれた」と、村上さんは、改めて本物を見せることの大切さを実感されたそうである。

●秋の修学旅行では、東山画伯の計らいで唐招提寺御影堂の本物の障壁画を見学
 今度は中学3年生の秋の修学旅行で、どこに行きたいかを生徒たちで話し合いをさせたところ、東山画伯の随筆にある「花明かり」の円山公園のしだれ桜や唐招提寺の障壁画を見たいという希望が強く、京都行きが決まった。
 そして、修学旅行の最終日に「唐招提寺御影堂」の障壁画を見ることができた。このことは、実は東山画伯の最高級のはからいがあったからこそ実現できた。御影堂は国宝級であるため、日頃は固く門が閉ざされ、堀の中にも入れない。しかし、この時は画伯の何度かの依頼、あるいは直接、唐招提寺に赴かれての依頼によって実現したのだそうだ。そんなこともあって唐招提寺の方でも、当日はなんと雨戸をすべて取り払い、生徒たちが全ての障壁画を見ることができるようにしてくれたそうである。この唐招提寺で皆が静かに絵を見ているとき、その時の修学旅行の行程ではほかにも京都で人気の太秦などを見学したにも係わらず、クラスで最も腕白だった生徒の一人が「ここが一番良かった」と村上さんの耳元で囁いたそうである。

●川崎中学校のグランドには、円山公園のしだれ桜の直  系の桜が植わっている
しだれ桜の話も「教科書原作者生原稿展」から実現したものである。これは同原稿展からのつながりで、修学旅行の2日目に京都大学名誉教授の遠藤嘉基先生と京都府立大学教授の傍島善次先生に、学問についてお話を伺い行ったとき、東山画伯の名作「花明かり」のモデルとなっている円山公園のしだれ桜の話になり、生徒が「筑豊でもしだれ桜の花が咲きますかね」と質問したところ、傍島先生が「たぶん咲くでしょうが、調べてみましょう」との返事であった。その後、傍島先生などの計らいで当時、京都府立植物園で育てられていたしだれ桜直系の若木3本が贈られてきたそうだ。
 天下の銘木であるしだれ桜が川崎の地に植わっているとは驚きであり、これも美の感動からつながった人たちとのネットワークのたまものと言わざるを得ない。
村上さんによると、この話が、有名になりすぎて広まると芽を摘まれるなどを心配したため、植樹当時は関係者しか知らない話しとなっていた。お話をうかがいに行った日、村上さんも「桜の管理が十分手をつくされていると良いが」と心配されていた。4月にはぜひ川崎中学校に行き、満開のしだれ桜を見たいものだと思っている。

●絵本館設立のいきさつと東山画伯からの贈り物
 その後、村上さんは体調をくずし、昭和59年に定年の5年前に退職。 その後、一身上の変化があり、今から8年前の平成5年に改めて子供たちやお母さん方が気楽に訪ねられる家を建てようと思い立ったそうである。村上さんの絵本館設立の思いは、自ら出されている機関誌に綴られているので、これを抜粋させていただく。
 『私は教え子たちの子供のことを思った。誰もが優しく思いやりのある人間になって欲しい。しかし、今、子供たちは自然と触れあうことも人と心を通い合わせることもなく、ファミコンゲームなどで殺戮と破壊に終止するだけ。(中略)子供たちが感性を眠らせ破壊されるような時間に置かれているのなら、私のところでは全く反対の時間が流れるような空間を作れないかと考えた。たどり着いたのが、絵と絵本と音楽のある「絵本館」であった』
 東山画伯が村上さんの絵本館に私的コレクションを贈るきっかけになったのは、退職後村上さんが出版した「子供たちへの詫び状」の装丁を東山画伯がされたり、ヨーロッパ旅行から帰ってきた東山画伯が、たまたまテレビをつけたところ、村上さんが何かの番組に出ていたりとか、いろいろと画伯との縁とタイミングが重なった結果であったようだ。
 そして、絵本館への引越しと開館の挨拶を村上さんが出されたところ、東山画伯から電話があり、「レコードをあげましょうか。ただし、モーツアルトは私が必要なのであげられませんが・・・。」とのこと。その後、画伯の方から「段ボール28箱分になりました」などの電話があり、美術専門の運送会社のコンテナ1台分の荷物が届けられた。荷物の中には東山画伯に献呈された井上靖、草野心平、三島由紀夫などの直筆の著名入りの本、カラヤンのサイン入りのレコード、画伯の署名入りの画集、画伯夫妻の数次にわたるヨーロッパ旅行の絵はがきアルバム、まだ、世が東山画伯としては知らない若き日に東山新吉の名で装画した童話集等々。
 元々、村上さんがこれまで収集してきた絵本などだけにする予定であったのが、今は、絵本館の半分は「東山魁夷コーナー」となっており、話を聞きつけて東京や鹿児島あたりからも参観される方がいるそうである。

●筑豊の宝である、この絵本館をどのように維持をしていくのだろうか。
東山画伯の私的な品々は、全国どこの美術館にも出ていない、そんな東山画伯の私的なコレクションを保有することとなった村上さんは、今後、この絵本館をどのようの維持していくのが一番良いのか、ずっと考えているとのこと。それは村上さんが東山画伯から頂いた品々はとりも直さず、筑豊、福岡の宝でもあるからだという。
 この絵本館は、全国どこにでもないユニークな絵本館であり、筑豊地域の文化発信の一つでもあると思う。 これからも村上さんと仲間で維持され続けることを期待したい。
なお、「筑豊絵本館」を訪れたい方は、館長の村
上さんがいらしゃるときには、見学できます。
予約してお出かけ下さい。
住 所 福岡県田川郡川崎町池尻213-12
TEL 0947-44-9906
              (やまだ たつお)


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