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●これからの農業についてよかネットの人たちと議論したい。その際に今後のトレンドについて少し話をせよ
この夏以来、「村づくり・農業勉強のために糸島に行きたい」と、椎葉村耕心会(土風緑=ドブロク会)顧問の黒木勝実さんから言われていた。私としては、来ていただくことはうれしいが、気乗りしない点が2つあった。1つは私に話をせよということ、もう1つは糸島の都市近郊型農業と椎葉村とでは立地条件が違いすぎるということであった。とはいえ、糸島の販売重視の農業は椎葉村にとっても参考になるに違いないし、ガイド役として案内するのは楽しいと思ったが、「話をせよ」については困惑していた。椎葉村の農業というと、私の生まれた山村(標高は350mではあっても盆地である)のイメージぐらいでは想像できない。山また山の536.2km2で4,160人が住む村の農業は、私の想像を超えていた。
「人もうけ」ということは、ワンウェイであってはならない。相手にも人もうけをしてもらわねば続かない。人もうけはもともと時間概念である。続かなければ、儲かったことにはならない。金儲けは一方通行でも成り立つし、実際にもそれが多いが、人もうけは双方向が絶対の条件だともいえる。
関西にいる頃も、交流会の世話をさせていただいて人もうけをしていた。その頃西村さんという友人が(今も糸島まで来てくれる悪友ではある)、「糸乘さんあれは名刺集めに来ているだけでっせ。あんまり世話せんでよろしぜ」とよく言っていた。異業種交流などといっても、集まってくる人には2つのタイプがある。もちろん1つは人もうけタイプであるが、もう1つは名刺儲けタイプというか、会社に名刺を持ってかえってDM名簿の足しにでもしようという算段で、結局金か出世をねらっているような感じだった。本当のところをいうと、人もうけタイプの方がメシの足しになるように思っていた。
椎葉の人たちを迎えるに当たっての私の杞憂は、人もうけのつもりが、逆に人損に追い込んだことになりはしないかということであった。
●椎葉村とのつき合いは……
今回の来訪の仕掛け人である黒木勝実さんとはじめてお会いしたのは、1990年に西日本新聞の「九州連合議会」という催しの場であった。その縁で、1994年9月下旬に椎葉村へいった時、民宿「焼畑」を紹介していただいた。
とんでもないところだった。
椎葉村へ行くだけで十分大変だが、中心とおぼしき役場の辺り(「中心市街」という不似合いな道路標識がでている)から一時間かかる。はじめて行ったときは、この直線距離10キロのところで、2時間近くかかった。上椎葉ダムの尾根と谷に沿ってうねうねとたどり、行き交うクルマが来たら離合出来るところまで延々とバックし、林道があるのでそれに入り込んだら道を間違え、「なんてとこに行くのだろう」と思った。「こんな先にほんとに民宿があるのか」とも思った。ところが、そこは得難い風景を持っていたし、そこの主の椎葉秀行さん・クニ子さん夫妻(当時72〜73才だったと思う)はすばらしい人たちだった。
秀行さんに焼畑へ連れて行っていただいて、焼畑の方法などを聞いた。周囲の山々のことも聞いた。夕食は山の幸のオンパレードだった。焼魚(ヤマメ・ハナオクラ)、煮しめ(クロタケ・人参・里芋)、刺身(地鶏たたき・カラシナ)、焼き豆腐、三杯酢(ユズ・ベビーコーン・ゼンマイ・タケノコ・茗荷・ウド)、天ぷら(茄子・唐芋・しそ・ピーマン・椎茸・やさいまめ・モロヘイヤ・人参のかき揚げ・よもぎ)、こんにゃく、蕎麦の団子汁などなど。これをクニ子さんが、一つひとつ材料から調理の仕方まで説明して下さったとき、あわててメモしたもので少々抜け落ちている。
ここまで来ると、「何でこんな所まで……」などという気分は吹っ飛んでしまっている。
この時の体験が、私の「土地柄・人柄産業論」の原点の一つになっている。「観光っていう商売は、なんて横着な商売だろう」とも思った。客が行く気になる、客を呼びつけられるものがないと成り立たない。つまり横着に構えて呼びつけて、金を取る商売なのだ。
翌日の朝、身が切れるような水で顔を洗ったところでクニ子さんに会った。昨夜の山菜のことを話し始めると、家の前の路をほんの数メートル歩きながら、「あれは〇〇という名前で食べるにはこうするといい。これは××という名前でこんな食べ方をするとおいしい。あれは……、これは……」といった具合に、知恵が吹き出すように20ぐらいの山野草について話がでてきた。私は「わーすごい……」と思っているだけで、何一つ覚えられなかった。それでも、「これはすごいことを聞いているんだぞ」という、しあわせな気分を感じていた。(クニ子さんについてもっと知りたい方は『おばあさんの植物図鑑』(葦書房)をご覧いただきたい。よかネットNo.16をお持ちの方はそちらも。)
ここで、こんな食べ物をいただき、こんな知恵にふれていると、ここではじめて出会った人とも親しくなってしまう。土地柄・人柄というものは、人もうけのコネクターともなるようだ。考えてもみて欲しい。土地柄・人柄無視のカラオケ団体旅行などだと、同宿の人と親しくなるどころか、喧嘩にさえなりかねない。
●椎葉村の人たちとの御馳走ミーティング
今回の「福岡よかネットとの交流会」参加者は椎葉側が11人で、こちらは私以外によかネットが2人、糸島の友人が4人で、総勢18人になった。
まず、「椎葉村の方々の山の御馳走メニュー」をみていただこう(これはよかネットの尾崎が書き留めてくれた)。
このパーティーは土風緑の乾杯で始まり、椎葉の7家族の御馳走で盛り上がった。糸島の地酒や、日頃から私宛に送っていただいている酒や食べ物なども入って、飲み食いに大忙しだ。その中で、それぞれ持参の飲み物や食べ物の自慢を交えた自己紹介が続き、最後が私の「お話」になった。かわいそうな糸乘にご同情下さい。
●これからの農業は「カロリー製造業から土地柄・人 柄商品・サービス供給業」へ
皆さんが楽しみながら聞いている中で、私が話したときのレジメの抜粋を示し、皆さんとの話し合いを紹介する。
「安いモノを高く」ということは、塩の販売で専売公社(JT)が2位になったことに表れている。このことは、私にとっては、今年の五大ニュースのひとつぐらいに入っている。誰も塩を腹一杯食ったりはしない。それなら高くても本物を使いたい。
「江島(崎戸町)の手作り醤油」は小さい離島のご婦人方5人が昔ながらの方法でつくった醤油で、五合1,800円もするが、すぐ売り切れになる。煮物に使うと抜群に旨く、使う量は半分でもいい。「減塩醤油」なんて馬鹿げたものを考えたのは誰なんだろう。江島の醤油は減塩ではないが、少しでいい味がでる。塩を少し加えてもいいくらいだ。この人たちが造っているものは、「醤油というもの」ではない。旨味という味覚情報の素である。その素を造るには、昔から何代も何代も受け継がれてきた知恵がいる。まさに、知恵の含有度の高い情報産業である。
うまく行かない例もある。「呼子の手作り“アジのひらき”」は、仕事になっているかどうか分からない。「活きアジを使った」という触れ込みと見本のアジの肌が艶やかに輝いており、試食の味もよかったので、つい乗ってしまった。八月に注文したのに未だに来ない。注文するとき「FAXは故障しているからインターネットで注文してくれ」などといわれたが、味覚情報のいっぱいつまったはずの「アジの開き」はまだ届かない。問題は醤油と同じで、私達は情報・知恵の含有率の高さに金を払おうとしているのに、気持ちがつながらないようだ。カロリーとか蛋白質を売るだけではない農林漁業は、今や情報サービス業なのだ。
いろいろ意見も出たが、なにぶん旨い酒、旨いモノに囲まれていたので、消化不良に終わった。
●早朝ゼミは、土地柄・人柄産業論(地域経営の立場 に立った産業の糸乘モデル)
消化不良の頭で一晩考えた末に、以前から考えはじめていた図(表紙参照)を使って、もう一度話してみようと思った。それが朝七時からの「朝食ゼミ」である。
タテ軸は「土地柄・人柄度」(その対極は普遍・量産度)、ヨコ軸は「移動度」(呼び寄せ度とお届け度)として考えてみる。
・土地柄・人柄度が高いということは、その土地の風土や人々の“思い”が込められたモノをつくったり売ったりすることである。どの地域でも、人々でも初めは気をつけていても、売れ出すと量産型に走って、特色がなくなることが多い。
・普遍・量産型の商品は、筋肉労働賃金のウエイトが大きい。またサービスの場合は消費者との距離がモノをいうため、都市型・都市近郊型となりやすい。
こんな説明をしながら、椎葉村の民宿に沢山の人が来る意味や、立地条件の悪い地域では大量生産や大量流通はできないので、顧客を直接つかまねばならないことなどを話した。そのためには常にネットワークを拡げる意識をもって、顧客とホットなつき合いがいる。
この頃から椎葉の具体的事例をもとに議論が弾んだ。
那須右人さんの椎茸に関わる話は面白かった。秋から冬にかけての椎葉村の“シイタケ”は肉厚で味も抜群なのだが、寒くなるので気候に左右されやすい。ある年、御歳暮としてかなりの量の注文を受け、送金も来てしまった。ところが気温が急に下がって年内に間に合なくなった。そこで丁寧に断り状を出して、2月頃に届けることになった。しかし、丁寧な対応をしたので、以前より親しみのもてる関係になったことなどの話もでた。
私も失敗談を出した。ある町の「ふるさと会員」の宅急便で餡入り餅を入れたところ、届いた頃には餡が傷んでいた。会員に私の友人もいたので、電話をしてくれるよう依頼を受けた。ある1人から「糸乘さん、痛むようなもの送っとんですなぁ。防腐剤入れとらんのですなぁ」という返事があった。彼にしてみれば、変な品物は送っていないことがわかり、かえって安心したという話である。信頼感の大切さについて考えさせられたという話をした。この話がいたく琴線にふれたようで、お帰りになったあと「目からウロコが落ちた」という言葉で返事があった。
この朝は昨晩以上に話が弾んだ。皆さんとも一層、親しくなったように思う。今度は椎葉秀行さんのところだけでなく、536km2の中のあちこちに親しい人たちができた。次の直売所見学に行かれる皆さんと気持ちよくお別れができた。
(いとのり さだよし)
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