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炭坑節は言わずと知れた盆踊りの定番であるが、その発祥の地は福岡県田川市とされている。地域の貴重な資源ともいえるこの歌を活用して地域おこしをしようという取り組みがあると聞いて、興味を持った。今回、この活動の中心人物である中村さん(福岡県立大学学生)に取材させていただくことができた。とても大学生とは思えない行動力に驚かされてしまった。
まず、炭坑節の歴史と現在の動向を少し紹介する。
炭坑節(たんこうぶし)
筑豊炭田の作業唄。もともと、石炭と石塊を選り分ける時の唄で「選炭節」と呼ばれた。大正時代の石炭ブームの頃、石炭成金たちが博多の花街で豪遊してから「選炭節」は「炭坑節」の名で、宴会のさわぎ唄となる。同じ唄は県南部大牟田市三池炭坑にもあり、1960年代、炭坑節を巡る本家争いとなる。レコードが出て全国的に知れ渡ったのは“三池炭坑の上に出た〜”の大牟田の炭坑を唱ったものである。結局、炭坑節の産みの親は「田川市」、育ての親は「大牟田市」ということで決着がついた。その後、大牟田市では炭坑節を使った数々の地域おこしがなされていたが、田川市では特に目新しいものは行われていなかった。(福岡県百科事典ほか)
●学生パワーを地域おこしに活用すべし
中村さんの人物像と創作炭坑節が生まれるまでの経緯を以下に示す。
中村さんはもともと、県立大の自治会長を務めており、地域おこしなどにも興味があったことから、県立大や周囲の大学生を集めて、実践学習グループTR−C(※1)を立ち上げた。このグループは地域の大学生のネットワークを深めるとともに、地域のイベントや講演会、地域おこしのお手伝いをすることを目的としたグループだった。
去年、地元の町おこし支援グループから「がんばれ田川!プロジェクト21」という地域おこしプロジェクトの話が持ち上がった。プロジェクトの企画を練っていく中で、中村さんの頭にあったのは、みんなで盛り上がれる「情熱のカーニバル」を開催すること、地元の貴重な資源である「炭坑節」を使うことだった。
後に、プロジェクトはいくつかの部門で運営されることとなり、中村さんはカーニバル部門を担当することとなる。
カーニバルに炭坑節を使うにしても、所詮、盆踊りの時にかかる「正調炭坑節」(普段の盆踊りにかかる曲)では広がりがない。
様々な人と相談しているうちに、炭坑節をアレンジして創作炭坑節ができないかという結論に達した。
●パラタンが一人歩きをはじめた
創作炭坑節といわれても、年輩のプロジェクトメンバーからはイメージがよく分からないということだった。そこで、カーニバル部門の学生10名集めてイメージが分かってもらえるようなサンプルをつくることになった。
中村さんはもともと、バンドの経験があるほか、お祝いなどでシンセサイザーやギターでちょっとした曲をつくるなど、遊びで曲を作る趣味があった。
炭坑節をパラパラ(※2)風に踊ることが決まってからは、それまでの遊びの作曲の経験を活かして、彼一人でパラパラ風炭坑節(略してパラタン。正式名称「PARATAN2001」。)にアレンジして仕上げた。さらに彼は、沖縄民謡風の「YOISAさのよい節」、かわいいアレンジをした「パラタンキッズ」を製作している。
紙面ではこれらの完成度の高さをお伝えすることができないのが残念である。
カーニバルのPRのために結成されたチームの名はCDR(筑豊ダンスレボリューション)21。後に田川シティマラソンの壮行会があり、そこで踊ったものがテレビ放映され、一躍注目を集めることとなる。このテレビ放映がきっかけで地元の小学校から踊りの指導依頼がいくつかくるようになる。
その後もカーニバルの宣伝部隊として出演し、地元や全国ネットでこの踊りが流れるようになる。しかし、パラタンだけが注目を集めた。カーニバルよりもパラタンが注目を集め、パラタンだけが一人歩きをはじめるようになる。
今年5月に創作炭坑節の公募をはじめた。この頃、地元ではすでにパラタンが浸透しており、創作炭坑節への関心が高まっていた。
●やろうと思えば何とかやれる
この頃から、中村さんが創作炭坑節でイメージしていたのは高知や札幌で話題になっている“よさこい”である。大勢で踊って街中を練り歩くというものである。これを実現すべく中村さんは田川署に何度も通うことになる。はじめは全く話を聞いてくれなかった警察がいつのまにかアドバイスをくれるようになった。 高知や札幌のよさこいでは、街中を練り歩くことでいくつかのトラブルがあったということで、田川の街中を練り歩くことはできなかったが、田川署の協力で会場である県立東鷹(とうよう)高校(工業団地の一角にあるので休日は交通量が少ない)の前の道路を封鎖して、出場チームが曲にあわせて練り歩くように演出することが可能となった。ついでに会場の様子を書いておくと、高校前の道路を練り歩いた後、校門をくぐり、グランドの奥に設置されたステージまでさらに練り歩き、審査員のいるステージ前で踊りのフィナーレを飾るという設定であった。
●カーニバルは大成功に終わった
9月23日(日)「がんばれ田川さのよい祭!」と題して中村さんが描いてきたカーニバルが開催された。 後日あった報告によると4,500名もの来場があったそうである。メインイベントである創作炭坑節コンテストには20チームの出場があった。ちなみに優勝賞金は30万円だった。
コンテスト中、私が大いに笑わせてもらったのが熟年女性の10人くらいのチームだった。はじめは浴衣姿で正調炭坑節を踊っていた。普通に終わったなと思うと、突然、全員、浴衣を脱ぎ捨てて、中に来ていたレオタード姿となり、パラタンを踊り出した。
創作ダンスというと若者だけ(主に10〜30代)が盛り上がるようなイメージを持っていたが、地元の保育園から健康体操のグループまで年齢層が広いことに驚いた。はっきりいってこれほどにも広い年齢層にパラタンが影響を及ぼしているとは思っていなかった。
コンテスト終了後、本家本元であるCDR21のパラタンをはじめて拝見させていただいた。スコップを担ぐ様子など、オリジナルの振り付けを随所に残している。
最近、盆踊りに子どもが少ないと聞く。何事にも言えることだが、伝統は時代に即して変わっていかないと続かないと思っている。炭坑節を次世代に伝えていくにもいくつかの方法があると思うが、こうした路線(現在の子ども達がとっつきやすい踊りの形体)もその一つとして必要なのであろう。
●創作炭坑節カーニバルとCDR21の今後
結局、カーニバルに要した費用は約900万だそうだ。このイベント開催にあわせて地元から協賛金、カンパなど約450万の収入があり、このほかパラタンなど3つのアレンジ曲が入ったCDによる収益など含めても、まだまだ900万には足りない。来年以降もこのカーニバルを継続していくには、開催費用の調達が大きな課題となりそうだ。今後は、行政、商工会、青年会議所などを巻き込んで進めていきたいという。
学生だけで構成するCDR21には、相変わらず、踊りの指導依頼、イベントの出演依頼、マスコミの取材など、多いときにはイベントが1日に3件入ることもあるなど多忙な生活を送っている。今後は就職するメンバーも出てくるだろう。そこで、中村さんに今後、チームの存続等についてどう考えているかを聞いてみた。
・創作炭坑節を地元に浸透させ、地域おこしを推進することを目的とした創作炭坑節振興会(仮称)として存続していく話があがっている。地元の企業等が振興会のバックアップすることを検討している。
・会の運営は多くの人材が必要となるので、地元で創作炭坑節に関心があるグループなどの協力を得ることなどを考えている。
地元の保育園、幼稚園、小学校などで毎年、パラタンを教え、その他様々なグループに対して踊りの指導を続けていけば何十年後かには、壮大な“パラタン市民総踊り”ができるのでは、と意見を聞いてみた。
・カーニバルの実行委員会では創作炭坑節を田川市だけではなく、田川市郡10市町村に拡げていきたい。
・田川市内を練り歩き、田川市だけが盛り上がるわけにはいかない。
・今回、開催場所が田川市内だったこともあり、周辺の田川郡の自治体の関心は今ひとつだった。
今後、カーニバルの開催場所なども頭の痛いところである。
今回は第1回目なのであくまで頭に描いていることを実現するということが目標だったそうだ。これからは今回の体験を活かして、次につなげていきたいということだった。
今後、どう発展していくのか見守っていきたいと思う。
(おだ こういち)
※1 トリコロール:(フランスの三色旗=「革命」の象徴)を略したもの
※2 パラパラ:アップテンポな音楽で踊る、上半身の動きが激しいダンスの一種。下半身は主に交互に左右に動く。
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