<よかネット>No.54 2001/11
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国営地方公共団体から民営地方自治体へ
   ──地域経営・地方財政・第三セクターの経営の視点──

 「国債発行が30兆円では、地方財政が持たない。交付税を削るのは問題だ。もっと赤字国債を発行せよ」という声が多い。ここで言われている「地方」とは一般に市町村のことである。そこでは経済活動領域として、三つのテリトリーが考えられる。図で見るように、Aは地域の産業・雇用・福祉・文化などの「地域の豊かさ全体を図るワク組」である。一方、Bの地方公共団体の財政というワク組は、「行政を行う事業体」のテリトリーで、Aに含まれる。Cの第三セクターという分野は、Bの一部と見られる。
 第三セクターの経営という問題を取り上げると、なんとなくネガティブなイメージがつきまとう。よい経営をして、地域に福祉や経済効果をもたらしている第三セクターも多いのに、多くの有名第三セクターが、放漫経営(実態は経営不在)によって崩壊したことによって、第三セクターというと浪費の元凶のように見られている。このことは、国の外郭団体に対しても言える。
 地方公共団体の財政も、ポジティブな感じを与えることがない。それは「限界のある財の消費」であって、財が増殖するということがないからである。

○地域がつぶれても役所はつぶれない時代は終わった 
 明治時代の話はともかく、戦後205の市、1,797の町、8,518の村があった。この中の多くの村が、過疎化によって消えていった。「過疎」という言葉が一般化したのは、「日本の過疎地帯」(岩波新書)という本が出た1968年以来だと言われています。私は丁度その頃京都に住んでいて、この本の冒頭に出てくる左京区広河原(戦前に過疎化していたところ)に行ってみた。広河原のような、家の柱だけが残っている村が、この30年余の間に日本中に現れた。行政組織としての役所(事業所)は、合併によって、雇用も含めて支えられたが、過疎地の村は働き場も人々も消えていった
 1981年だったかと思うが、ある町の総合計画を手伝わせていただいていた。受託した金額が予定より少なかったので、赤字になると困ると思い、若い人はあまり連れずに、もっぱら私一人が出張していた。役場の中に若手中心のプロジェクトチームを作り、みんなで議論したり、まちの人の意見を聞いたりしていた。そこでの私の問題提起は“二本柱と三原則”で、「産業起こす、にぎわいつくる」、「あるもの生かす、つながりつける、導入する」という話をし、「この町にあるものを探そう、特産開発を考えよう」と、訴え続けていた。町の力をつけるにはそれしかない、と思っていたのである。
 ある時、チーム会議をするから来てくれと言われて、討議資料の準備をして出かけた。ところがこの日は、一人の出席者もなかった。ついつい私も愚痴が出てしまい、「遠くから(二時間あまりかかっていた)来ているのにあまりにもひどい。ちゃんと出席させて下さい」と担当の課長さんに言ってしまった。売り言葉に買い言葉で、「コンサルというのは、仕事として請け負っているのだから、チームのメンバーが出席したくなるような資料を用意し、提案をしたくなるように会議を進めなきゃいかんのじゃないか」と言われてしまった。その時は、「そこまでやれるほど委託費をもらっていない」ぐらいのことを言ったように思う。


○地方の税収を増やすのは、損なんですよ
 あとで考えてみると、私もひどいことをしていたと思う。世の中は「工場誘致」とか「文化会館・体育館」などと言っている時に、「この土地の資源を生かしたモノ作り」とか、「特色を生かしたサービス業は考えられないか」などと言っていては、チームのメンバーも鬱陶しかったに違いない。だからといって、課長さんと仲が悪くなっていたわけではない。私が一生懸命なのは分かってくれていた。ある時、昼の食事を取りに町の食堂に行った。双方が食べ終わって、お茶でも飲んでいた時だったかと思う。課長さんも言いあぐねていたのだと思うが、おもむろに「糸乘さんねー、産業が興ったり企業が来て税収があがっても、その分は交付税から削られるんですよ。いろいろやって、地場産業の振興をするのは、しんどい上に経費もかかるので損なんですよ」と、教えてくれた。もちろん、私が交付税のことを知らなかったわけではない。しかし、「そんなことは知っている」と反論はせずに、言葉を飲み込んだ。別のうまい言葉も出るわけではなく、まさに後味の悪い食事だった。
 いまだに「我が町は道路が悪いので、工場誘致もままならず……」などという首長さんがおられるが、この町では近くに数十万の都市もあり、通勤すれば雇用も心配がなかった。人口も横這いか微増であったし、「十年後・二十年後を考えて……」といったコンサルのご託など聞く気にはなれなかったのであろう。
 結局のところ、市役所や町役場の職員は、国営の「地方公共団体」企業の従業員であった。その事業所を存立させている主体が国であって見れば、やむを得ない事情である。経済は常に右肩上がりで、税金はいつの年でも「自然増収」が有ることになっていた。それをもとにして、年々補正予算が組まれていた。昨今のように、赤字国債で補正を組むなどといったことは思いも寄らなかった。バブル以降、国の財政構造が変わって、税金が入ってこなくても赤字国債をドンドン増発した。次世代の若者や子・孫にツケ回しをして恥じない大人が跋扈している。悲しいかな我々は、子や孫のすねを囓って生き血をすう立場に立っている。

○地域が生き残らないと、役所がつぶれる時代へ 
 最近、地方交付税の減額が話題になっているが、新聞に「交付税が減らされると、職員の給与の支払いも心配だ」(西日本新聞)という記事が出ていた。1975年頃、オイルショックのあと財政が逼迫したときに、ほとんどの地方公共団体が、住民向けの事業を大幅に削って職員の給与の確保に走ったことがある。つまり地方公共団体は、住民に対するサービス機関ではあるが、一方では職員を雇用する事業所であり、どちらかというとその側面の方に切迫感があるのでやむをえないことである。
 しかし、「地方分権」と言うことが唱えられ、交付税ではなく自前の税収で、役所という事業所を維持するためには、税収が上がるような地域経営をしなければならない。
 市町村の場合には、@住民に豊になっていただいて、住民税を負担してもらう、A住みやすいまちづくりをして、地価が騰がってもそれ以上に住んでいる人が喜ぶまちにし、固定資産税をいただく、B事業活動を活発にして、事業所の住民税などが上がるようにする、などの考え方の切り替えが必要になる。今後の推移のなかでは、税の体型も変わるかも知れないが、いずれにしても「豊かな地域づくり」のみが役所の頼みの綱となる。
 「地域が生き残らないと、役所がつぶれる時代」になるのである。

○地域経営の視点
 「地域を豊かにする」という課題に応えるためには、「地域の富を増加させる」経営体が必要である。それが第三セクターであっても、もちろん構わない。
 地域経営の原点は、「@あるもの生かす、Aつながりつける、B導入する」である。地域経営はその地域にあるモノやコト(祭りや伝説などの文化)が、スタートの起点になる。そのうえで、ユーザーを始めとする多くの人々とのネットワークを大切にしながら、仕事を作っていく。仮に導入する場合でも、@とAの上に立って企画をしなければうまくいかない。今まで、あまりにも「工場誘致」のみに走りすぎた。実際には、多くの地域に根ざした事業が地域に活力をもたらしているのである。
 1980年頃と言えば、「テクノポリス」誘致計画が、全国的にもてはやされていた。全て“シリコン”であり“ハイテク”であった。しかし今では、小泉構造改革内閣の「骨太の改革戦略・530万人の雇用拡大政策」の柱が、“生活直結型サービス産業”である。
  生活直結型サービス産業における雇用の拡大         (単位:万人)

現状 約五年後 増加分
1.個人向けサービス 515 710 +195
  Aコンシェルジュサービス 125 160 + 35
  B ライフモビリティサービス 0 20 +20
  C 健康増進(リフレッシュ)サービス 390 530 +140
2.社会人向け教育サービス 25 45 +20
3.企業・団体向けサービス   215 305 +90
4.二次住宅向けサービス 75 130 +55
5.高齢者ケアサービス 50 100 +50
6.子育てサービス 55 90 +35
7.医療サービス 290 345 +55
8.リーガルサービス 35 55 +20
9.環境サービス 25 35 +10
合計 1285 1815 +530

*端数は最も近似する5万単位の値としている
  *出典 「明るい構造改革」日本経済新聞社刊 

 ひとつユニークな事例を紹介する。大牟田市に“海の病棟”とも称される不知火病院(1987・徳永雄一郎院長)がある。ここのストレス疾患専用病棟は、治療効果が高いという評判である。川沿いに建つ建物も、陽光や水の揺らぎなどを採り入れたユニークな設計で、堅さの全くないくつろぎを持っている。ここの利用者は東京・大阪方面が大半で、地域経営の立場からいうと、よく外貨を稼いで大牟田市の所得形成に貢献している。投資回収どころか、あとに赤字とゴミを残した第三セクター経営の「ネーブルランド」と比べてみても、不知火病院の成果は大違いである。
 繰り返しになるが、大牟田市には十数年前から、全国の見本になる産業が活躍していたのである。


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