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5年前から、春の「たけのこ掘り」冬の「みかん狩り」が、私的ネットワーク「だぼはぜの会」の定番となっています。毎回、おいしい山の幸と、好き勝手に山遊びを楽しむ我々(多いときは20名位参加)を受け入れて下さる松尾さん(福岡県八女郡立花町、松尾農園グループ)に感謝しつつ、都市住民とつながりを持とうとしている松尾さんを紹介するのが遅れたことをお詫びします。
今回、「専業農家大いに語る」第3回会合で、その松尾さんに「地元の人とグループを作り、地域の魅力を発信している松尾農園グループ代表」ということでお話ししていただきました。以下お話ををまとめました。
●18歳の時の決意
もともと家が農家だった。農業高校を出た18歳の時にフィリピンや愛媛を見て回って自分が継ぐのなら、農業の会社を作りたいと思った。その頃、みかんが大流行で、日本中の農家がみかんを生産していた。そのため、昭和53年には大暴落し、このままでは農家は生き残っていけないと感じた。農協だけに出荷するのではなく、農家自身が顧客を掴まないと生き残れないと感じ、生協出荷に取り組もうとした。
生協に出荷するためには、生協が認める体に安全な基準をクリアする必要があるため、大量ではなく、手間をかけた産品を他品種作る必要があった。その頃、同年代の農業者が集落にいたことも幸いし、八女有機農家の会を発足し、農協以外のルートでの販売に取り組む仲間が増えていった。
●グループの経緯
1987年に、これまで松尾農園として個人で活動していたが、松尾農園グループへ名称を変更した。5名の会員からなる出荷組合のスタートだった。農作業や、もともと個人でやっていたパックセンター(玉葱やにんにくをむき、冷凍用にパックする場所)を会員と協力するようになった。
出荷先は主に生協で、初めはキウイフルーツ、里芋、みかん等を納入していた。
1994年よりグリーンピースやスナックエンドウなどの野菜も出荷するようになる。このとき会員は25名。しかし、翌年より注文に応えるために3倍の量の生産を求められた。今は3割増しになっている。
現在、正会員は専業農家と兼業農家合わせて36名、その他の会員を含めると、50世帯が参加している。年齢層は20代から70代まで幅広い。生産する品目は57種類に及ぶ。各品目はそれぞれの部会に分かれている。化学肥料は一切使用せず、牛・豚堆肥を中心にした有機肥料で栽培していて、各生産者は同一基準で施肥・防除を行うなど品質管理を徹底している。
出荷組合なので、出荷した量がそのまま自分の利益となる。出荷先は生協が80%、残りは地場のスーパーや、商社を通して東京首都圏・大阪への販売である。グループ全体の売上は生協ルートで約2億円。1軒100万円〜1200万円となっている。1軒の売上1000万円を目標に掲げている。
●ばあちゃんパワー全開
当初、会員のばあちゃん達にはパックセンターで玉葱をむいてもらっていた。しかしそれは若い人に譲り、野菜を作って「100万円儲けよう」ともちかけた。少額でも自分の通帳を持ち、その中から孫に小遣いをあげる。また、家族が一緒に取り組むので、若い嫁との関係がうまくいくようにもなった。更に、せっかく貯金をするなら皆でグアム、いやいやハワイに行こうということになり、3泊5日で旅行にも行った。目標をもって仕事をする元気なばあちゃんが増えたが、稼ぐのは年間150万円以下と決めている。それ以上稼ぐとなると競争意識が強くなったり、体壊すと考えるからだ。
●中国の脅威
中国でのオーガニック野菜(無農薬・有機栽培)の認定を視察に行く機会があった。中国は新しいもの(ハイウェイ)と古くからのもの(田園風景)が一緒になっていた。日本と草の質が変わらないところで野菜・茶・梅などを生産している。日本の商社が厳密に品質管理して認定を受けた野菜は日本とヨーロッパに50%ずつ出荷され、エンドウなどの豆類もすぐ食べられる状態まで加工、冷凍して出荷されている。
視察したところは、茶畑にして100町歩、梅畑にして50町歩生産していた。国から土地を借りて地代を払い、採れた作物を自分で売るというシステムで、1日25円の日当で相当数雇っている。
このように、九州から飛行機でわずか1〜2時間圏の中国では安い人件費でオーガニック野菜が大量生産されている。日本にとっての驚異は迫っている。
●いかに消費者をつかむか
農業で生き残るためには以下の点だと考えている。
@人件費で勝つことはできないが、お客さんに直接販売し、目で見て感じてもらう。
A消費者は安い方に走るだろうが、その野菜よりも質の良いものを作る。
B今のうちに消費者ネットワークを増やし、仕事を若い人に割りふる。
●町の魅力をもっと語ろう
町の人にとっては山の中にある珍しくないものでも都市の人にとって魅力的な資源(例えば葛籠)がいっぱいある。都市の人と交流して、立花町の良さをもっと知ってもらいたい、何よりも町の人がそれを語る場が欲しいと思った。
今年、小さな販売所を中心に都市との交流を担当する有限会社を作った。この販売所は4年前、閉店することになった酒屋を駄菓子屋で子どもが100円の中で計算してお菓子を選ぶような気持ちを大事にしたいという気持ちから買いとったものだ。その店に通っていた茶髪の子がバイトにきて、よく働いてくれる。最近そこに特設「角打ち」コーナーも作った。
いずれは現在出荷組合である農園グループを農業法人にして生産部門と交流部門という役割を分担をきちんとしたい。また、季節折々の催しを企画し、生産者間の親睦を深めることも、ここを中心に進めるつもりだ。
●ここでできることなら何でもOK
最近では、ホタルがみられる季節にネットワークのある人をお誘いしたり、ミニコンサートを開いたり、農業だけではなく、立花町の魅力を違った形で引き出しながら、都市住民との交流を図っていらっしゃる。
松尾さん自身の大らかで暖かい人柄と農業にとどまらない活動が、地域の人を巻き込み、まちの魅力を内にも外にも発揮できる場となっています。このつながりがぐるっと回って松尾農園グループのネットワークになるのだろうと思いました。
(あいこう みほ、さわたに まきこ)
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