<よかネット>No.53 2001/09
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人もうけ通信〜番外編いろんな”地元”とのつながりで
皆んなが集まった博多祇園山笠

 私は縁あって博多祇園山笠にこの数年参加させていただいている。今年も7月15日の追い山で無事に櫛田神社への奉納に参じることができた。山笠に参加していると、いろいろなことを聞かれるようになったが、その中で「山笠に参加しているのはどんな人達か」という素朴な質問にはなかなか答えられないでいる。
 その大きな理由は、山笠期間中は自分の流れ(私の場合は恵比須流れ)に参加することに目一杯で、ケガをしないようにして楽しむため、自分の身の安全に注意を払うので、祭りの期間中は意識が祭りの全体像の方に向かわないためである。もう一つの理由は、全体像そのものの輪郭がぼんやりしていて正確にはつかみにくいためである。
 年ごとの変化があって一概に言えないが、一説では7つの流れで計1〜2万人の掻き手が参加する。例えば、私が参加している恵比須流れの中石堂町は、山笠のルーツを担う古い町だが、今は住む人も働く人も減っているが、人づてのご縁によって博多の出身や在住でない人でも、この町から参加させていただいている。
 今回、自分の所属する中石堂町だけでなく、他の流れに関わっている方など、私にとっての山笠の先輩数名に山笠の掻き手事情を聞いてみることにした。
●山笠はいろんな人の参加を受け入れている。そして参 加者全員が「自分の流れと町が一番」と考えている。
 聞いてみて気づいたのは、どの流れのどの町の人も「自分の流れ、自分の町の法被、自分の町の結束がやっぱり一番」という気概を持つ点で一致しているものの、山笠に参加している人の受け入れについては、様々なケースがあるということだ。
 それらのケースを見てみると次のようになる。
@旧町内で生まれて在住している。
A旧町内に住んでいないが商売の場所は持っている。
B旧町内で生まれたが、離れて市内外のどこかに在住。
 期間中には戻ってくる。
C仕事場が旧町内にあってそのご縁で出ている。
D旧町内とのご縁はないが、声をかけられて出ている。
E旧町内とのご縁はないが、どういう形でか縁をたどっ て自ら進んで参加する。
などである。
 いわゆる「博多のもん」つまり地元の者とは、大体@ABまでの人のことか。しかし、町によっては「町外の人でも信頼を得るに足る人は役付きを与えている町もある」(前出の先輩の談)という。
 どの流れも「役付き」(※1)の人によって運営されるが、純粋に各町の出身者や在住者でないとなれないということでもなさそうである。やはり人物的にきちんとしていて、信頼を得るような人は「役付き」をいただいている。
 全体のパワーバランスでみた雰囲気では、山笠に対する個々人の思い入れやしきたりに対する受け止め方の重みでは、多分に知らない者ゆえの誤解を含めて言い切ると、@>A>B>C>D>Eとなり、それが参加人数でみると、正反対とまでいかないが、それに近い状態なのかもしれない。
 ちなみに私の場合はEに該当する。公認会計士である簑原年樹さんにお声をかけていただいた。その簑原さんも約20年間参加しているが立場は私と同じDかEである。私が参加させていただいている中石堂町は、旧博多部の中でもとくに人口も事業所も減少が著しい。そうした現実の状況がある一方で、歴史と伝統を受け継いできた山笠は、博多のまちの四季の商売や暮らしの営みがあってはじめて成り立つ祭事である。例えば、ゴールデンウイーク中に開催される「博多どんたく」には相当な資金と準備を要するといわれるが、山笠に参加する旧町ではこちらにも参加していることも多い。私のように1週間だけ山笠に関わる外部の人は、あとの1年間の苦労とは無縁で気楽で美味しいところどりなのだとあらためて思う。ただ、山笠の場合いろいろな形で参加している人が多いことが、賑やかさに繋がっていることも事実だ。いろいろ聞いてみたところでは、CDEで全体の参加者の半分以上を占めているという感じである。
 その場合も、参加者は各町のいずれかの家の「預かり」という立場であり、当該町の法被を着用して、その町や家のしきたりを守ることが要求される。
 中でも法被のもつ重みは極めて大きい。以前、加勢町(かせいちょう※2)としてある流れに参加していたところでは、流れ全体で統一デザイン法被へと移行していった状況に対して、自町の法被の伝統を尊重して、山笠自体への不参加をとり決めたところもある。各町の法被に対する想いは想像を超えて強いものがある。
●「地元の人」のカテゴリーがもつええかげんさ
 山笠に出ていると「地元の人=“博多のもん”」という言葉に出くわす。実はこの言葉のもつ「ええかげんさ」がいろいろな参加を許容しているように思える。
 旧町内出身の方からみれば、各流れのルーツをくむ当該町と、これまで何らかの理由で解散した流れなどにルーツをもつ加勢町をあわせたところが「地元」ということになるかもしれない。
 しかし、私の場合、他県の人に自分が山笠に出ていることを紹介する場合、自分を「外からの参加者」とは言っていないような気がする。居住地は郊外で、勤め場所は同じ福岡市でも博多ではない天神であり、きっと本来の括りからは違うのだと思うが、その時だけは「地元」ということで受け取ってもらいたいという気持ち、ご都合地元主義の気分があるのだと思う。
 私が所属している中石堂町の場合、福岡在住中に山笠と出会い、その後、転勤などで東京や大阪に移り住んでいても、その時期には博多に戻ってくる人が大勢いる。まるで山笠で里帰りといった雰囲気である。
今回いろいろな方に話を聞いたが、博多出身ではない、そうした山笠里帰り組が参加している町は結構あるように思えた。
 最近の山笠は追い山見物に90万人もの人が集まる福岡市の観光資源にもなっていて、観る人、参加する人の双方が気分よく過ごせるが、戦後の博多のまちでは一時期若い人の山笠離れが著しく、また「締め込み(ふんどし)姿が現代風でない」という投書が新聞に寄せられて論議を呼んだ時代もあった。
 しかし伝統としきたりを強く重んじる一方で、各町がそれぞれ「ええかげんさ」を保ちながら、それでいて参加者の全員が「これからも続く」と思って毎年夏を楽しみにしているところが、750年余の伝統をもつ山笠の当世の事情かもしれない。

※1)山笠では各流れの運営に携わる役職を設けている。各流れや町によってシステムは異なるが、赤手拭、衛生、取締、総務、総代などがあり、この他、博多祇園山笠の全体の運営に携わる山笠委員の役職もある。若手を統率する赤手拭で若者のあこがれの的といわれる。
※2)昭和41年の町界町名整理によって解散した流れや、それ以前に他の流れに加わっていた旧町の中には、他の流れからの参加要請(あるいは他の流れへの申し入れ)に応じて山笠に参加しているところも多い。その場合、他の流れへの参加の是非の意思決定は、町内での採決でなされる。各町では他流れに参加しても伝統ある法被を守ることが重要といわれる。

七本の各流れを構成する町(平成13年度、順不同)

一番山笠 大黒流れ
須崎町(一区、二区、三区)、古門戸町(一区、二区)、対馬小路(一区、二区)、麹屋番、寿通、川端町、川端中央街、下新川端町
二番山笠 東流れ
御供所町(一区、二区)、東長寺新道、上奥堂町、上桶屋町、下桶屋町、北船町、上普賢堂町、下普賢堂町、普賢堂町、魚町、上東町、下東町、上浜口町、中浜口町、下呉服町
三番山笠 中洲流れ
中洲一丁目、中洲二丁目、中洲三丁目、中洲四丁目、
中洲五丁目
四番山笠 西流れ
奈良屋町(一区、二区、三区)、綱場町、店屋町(一区、二区)、冷泉町上(一区、二区、三区)、冷泉町下(四区、五区)
五番山笠 千代流れ
千代一丁目(一区、二区、三区、四区、五区、六区、七区)、千代二丁目(一区、二区、三区、四区、五区)、千代三丁目(一区、二区、三区、四区、五区、六区、七区、八区)、千代四丁目(一区、二区、三区、四区、五区、六区、七区)、千代五丁目(一区、二区、三区、四区、五区、六区)、千代六丁目(一区)
六番山笠 恵比須流れ
綱場町、中間町、上金屋町、下金屋町、横町、上竪町、中竪町、下竪町、中石堂町、官内町、蓮池町
七番山笠 土居流れ
西方寺前町、浜小路、行町、片土居町、上土居町、中土井町、下土居町、川口町、大乗寺前町、上新川端町

 (おざきまさとし)


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