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前号の「甘夏の怪」に、沢山の方から「面白い」という感じと、自分なりの思い出とが重なった反響をいただいた。ところが、わが事務所内から反撃を食らった。「1955年までに、なぜこんなに砂糖消費が急増したのか、理解に苦しむ」という話だった。「なるほど、なるほど、45才以下の年齢層には、戦後砂糖消費がゼロだったことなど分からんのか」と思った次第。ということで、「また」の駄文を書きます。
<1947年の砂糖消費量は、1家族4.7人で225グラム=4グラム/人・月>
コーヒーに付いて出てくるスティックシュガーが、少ないものが3グラム、多いのは10グラムぐらいである。もちろんコーヒーなど無かったので、家庭の料理に使ったものの総量ということである。一般の家庭では白い砂糖など見ることは無かったと思う。当時はあらゆる旅に米を持っていかなければならなかった。私の体験では、倉庫業をやっているところの学生さんが、米の代わりに砂糖をもってスキーに来たので、真っ白な砂糖を見たことはある(倉庫業をやっていると砂糖の生産ができたのかな)。
データを少し続けると、48年が713グラム/年、49年が750グラム/年、50年が3,525グラム/年、51年9,377グラム/年、52年12,454グラム/年となっている。52年の消費は、212グラム/人・月となる。5年間に50倍になっている。
<砂糖消費が「なぜゼロだったのか」という質問>
この質問にはなかなか答えにくい。「無かったから」ですませたいが、そうもならないので、少し別の話をする。1983年に、「一人っ子」政策をはじめて2〜3年目の中国に行ったとき、中国人はスリムで健康的な感じだった。数年して、また中国に行ったときは「かなり太ったな」と思うと同時に、以前の精悍な感じが消えていた。特に小皇帝という「一人っ子」が大切にされすぎていた。昼時の街角に、30歳代の女性(少しは男の人も)がたくさん集まっていて、何事かと聞いたら、そこは小学校で、小皇帝を出迎えに来ているということだった。
今、北朝鮮は食糧不足だといわれ、スリムすぎる人達の写真が新聞にでたりする(先日金正日総書記の息子といわれた人が、成田空港でジャーナリズムの前に現れたが、こちらはずいぶん太りすぎのようだった)。戦後、47年頃までの日本人は、今の北朝鮮の人よりやせていたかもしれない。
すこし、1950年頃の日本を振り返ると、当時は「三白景気」が起こっていた。三白とは米・紙・塩・蝋・砂糖等のことだが、この頃は米が配給で塩は専売、砂糖は輸入の為の外貨が割当制になっていた。そして「国内製糖業の保護」と称して高い国内価格を維持したので、砂糖を扱う会社が大儲けをしていた。政府の割り当てさえ得れば、莫大な利益が転がり込んだのである。当然「砂糖疑獄」といった見出しの、汚職摘発の新聞記事が連日出ていた。それも52年頃になると砂糖が沢山出回るようになり、「あまみ」も消えて一般の商品になっていった。このプロセスを経て、砂糖の消費が50倍になったということである。
(いとのり さだよし)
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