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金先生は毎年5月に、有田焼の陶祖李参平をしのぶ「陶祖祭」に、韓国陶磁器文化振興協会の会長として参加しておられます。金先生が5月4日の夕方、韓国の白い式服姿で有田の陶祖祭のニュースに現れられ、びっくりした。今年は九大の森永先生の依頼もあり、陶祖祭の後日に九大で講演されることになっていましたが、空いた日に「糸乘がどんなところに住んで、百姓と言っているが、どんなことをしているか様子を見たい」という連絡が入りました。三月以来FAXが行き来して、5月6日に糸島の糸乘宅に見えました。その日は九大の移転予定地や、怡土城跡(ここには白村江の戦いのあとで、日本と百済がつくった土塁がある。これは太宰府の水城と連なるもので、高さ数メートルの大防塁である)、糸島半島一帯、“つまんでごらん"という卵専業農家の早瀬さんの所などを廻り、金先生は大土塁と高品質卵に、多大の興味を持たれました。
夕食は糸島名物の鳥料理をいただきながら、九大の森永先生、坂口先生、樋口先生夫妻、鰍謔ゥネットの山辺、尾崎などと歓談しました。
金先生とのご縁は、今鳥取大学にいる霜田さんが、十五年ぐらい前に筑波で講演を聴いたとき「帰りに大阪を回られるなら、そちらでお会いできれば」といって、私も含めた十数名が、懇談させていただいた時からになります。その後、大阪で開いた“じねんシンポジウム"にも来ていただいていて、夕食の席でも思いで話がでました。
九州でも、宗像大社に行ったり、太宰府に行ったりと、何回かお会いしています。
<ひとこと>金先生の略歴は、1925年京城生まれ。京城大学やペンシルベニア大学などでセラミックや無機化学を修められ、1967年にパク・チョン・ヒ大統領に呼び戻されて初代科学技術庁長官兼原子力委員長になった。その間に科学技術振興基本法の制定を推進され、その方針に基づいて先進大学院としての韓国科学技術院(後のKAIST)設立、後にはその理事長としても貢献された。日本との交流もたいへん多い。神奈川科学アカデミーの顧問や名古屋のファインセラミックセンターの評議員でもある。今回来られた有田では名誉町民である。
(いとのり さだよし)
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